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佐藤 義則
プロフィール

本名 佐藤 義則 SATO YOSHINORI
出身地 北海道奥尻郡奥尻町
生年月日 1954年9月11日
血液型 O型
サイズ 身長:181cm 体重:86kg
肩書 プロ野球コーチ、解説者
出身校・球歴 函館有斗高-日大-阪急-オリックス
コーチ歴 オリックス1999-2001、阪神2002-2004、日本ハム2005-2007
通算成績 165勝137敗48S、防御率3.97。1755奪三振。
獲得タイトル 新人王(1977)、 最多勝(1985)、 最優秀防御率(1986)、最多奪三振(1984、
1985)、 ノーヒットノーラン(1995年8月26日)


俳優業
阪急ブレーブス黄金時代を支えた大投手。1954年9月、北海道生まれ。右投右打。投手。背番号11。函館有斗高校から日本大学へ進み、1976年秋には78奪三振の東都大学リーグ新記録を樹立。1977年、ドラフト1位で阪急へ入団。ルーキーイヤーから阪急のリーグ優勝、日本一に大きく貢献し新人王に輝く。
1978年、二年目にして13勝8敗1Sの好成績。チームもリーグ連覇を果たす。しかし、1980年は不本意な成績に終わり、翌1981年に椎甲板ヘルニアで投手生命の危機に立たされる。選手登録を抹消されて1軍登板も無く、任意引退選手となる。だが、翌1982年には練習生から復活し、主にリリーフで4勝2敗13セーブを残し復活を遂げる。1984年、先発に復帰して17勝6敗1S136奪三振。奪三振王に輝き、チームは6年ぶりにリーグ優勝。1985年には21勝11敗の成績で最多勝に輝き、188奪三振は2年連続の奪三振王でもあった。以後、パシフィック・リーグでの20勝投手は2003年のソフトバンク斉藤和巳まで現れなかった。1986年は14勝6敗1S、防御率2.83で最優秀防御率のタイトルを獲得した。1987年 当時のエース山田久志に代わり、プロ11年目にして開幕投手を務める。1994年4月には通算150勝を達成する。1995年8月の近鉄戦では40歳11ヶ月という(当時)史上最年長でのノーヒットノーランを達成。同年、オリックスブルーウェーブに改称後、初のリーグ制覇。1998年、通算500試合登板を果たすも、現役を引退。
長身から投げる落差の大きな独特の変化球は魔球「ヨシボール」と呼ばれ、44歳までの22年間の現役生活を支えた。指が短くフォークボールが投げられない為、代わりとなる決め球が必要だった。フォークボールのように人差し指と中指で挟むことができないなら、親指と人差し指で挟み、フォークボールと全く同じように投げればいいという考えから、ヨシボールが完成した。
引退後は翌1999年より2001年まで古巣オリックス、2002年~2004年阪神タイガースの投手コーチを歴任する。2003年には阪神の18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。2005年からは地元・北海道日本ハムファイターズの投手コーチに就任する。防御率リーグ5位であった投手陣を鍛え上げ、2006年に北海道移転後リーグ初優勝。2007年には球団初となるリーグ連覇。ダルビッシュら若手の育成に力を注ぎ、リーグ屈指の投手王国を築いた。
2009年野村克也監督に「日本一の投手コーチ」と称され、楽天に入団。田中、永井らを育成し、球団史上初のクライマックスシリーズ進出を果たす。2011年度は優勝した阪神以来の星野監督の元での働きに注目される。